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今考えればすこし浅薄だったかもしれないが、主人公の猿戸役に伴直弥(『人造人間キカイダー』の伴大介)を起用したのは、面立ちが『悪魔の首飾り』のテレンス・スタンプに似ていたからである。天本英世や山谷初男といったクセのある俳優に出演をお願いしたのも、この作品全体を死のムードで横溢したものにしたかったからだ。余談だが、実はあの岸田森にも出演依頼をして断られている。もし岸田森が出演してくれていたなら、この映画の死のイメージはずっと濃密なものになっていただろう。

最初はもちろん、予算的にも16mmで撮る予定だった。だが、16mmのテスト撮影のラッシュを見た僕が、その画質に失望し、プロデューサーを無理やり説得して35mmにしてしまった。思うにこの時点で製作の破綻は目に見えていたわけだが、自信過剰な20歳の僕はそれに気づかなかった。

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この映画では野心的で斬新な試みがいくつもなされている。まず、当時まだ実験段階だった“トーヨートーン”と呼ばれる増感現像処理を映画としては初めて行った。そしてこれもおそらく日本映画初だったと思うが、ステディ・カムによる移動撮影に挑戦した。もちろん、すべてが思い通りの成果を上げたわけではないが、19年前としては、きわめて画期的な映像を撮っていたと自負している。

昔の記録を見ると、81年の1月9日にシナリオが完成し、2月1日に最初のスタッフ・ミーティングがあり、2月27日に早くもクランクインしている。それから2カ月半の間に、延べ30日間の撮影を行い、5月21日に製作中断が決定された。仮編集したラッシュ・フィルムの長さは1時間10分程度あり、これを40分程度にまで刈り込めばあるいは短編として完成することもできたかもしれないが、当時はそういう知恵は働かなかった。

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