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早川 安原先生は理学博士であり水文地質学の専門家でいらっしゃいますが、最近は特に環境保護の観点からさまざまな調査、研究に取り組んでおられ、その一環としてフランス、ヴォージュ地方にあるヴィッテルの町も見学なされたとか。
安原 ええ。私はヨーロッパの水源保護というものに非常に関心があるんですね。といいますのも、ここ数年、日本でも水源をとりまく環境の悪化というのが社会問題として取り上げられるようになってきた。しかし残念なことに、一部の自治体には水源保護に関する条例があるものの、国の法律は未だ整備されていないというのが現状です。そこでまず私たちが学ぶべきなのは、いち早く水源保護を実践してきたヨーロッパのやり方ではないかと考えたんです。
早川 実際にヴィッテルの町をご覧になっていかがでしたか。
安原 いろいろな発見がありましたね。水源の周囲の広大なエリアを保護地域にしたり、農薬の使用を規制するということはもちろんですが、牧場で飼う牛の数を1ヘクタールあたり1頭に制限するとか、鉄道の線路わきに生える雑草の処理にさえ除草剤を使わないというこだわりには驚きましたし、てんとう虫を使った無農薬農法の研究や、ガソリンなどの有害な液体を浸透させない不透性の道路など、参考にすべき点も多々ありました。感心したのは、こうした水源保護のための施策を水文地質調査にもとづいて行なっているということです。ヴィッテルの町では1960年代から水源保護についての研究を始めていたといいますから、すでに40年近くの歴史があるわけですね。
早川 そんなに早い時期から環境保護に取り組んでいたんですね。
安原 ええ。でもヨーロッパでは、水源の保護はミネラルウォーターばかりでなく、水道水についても行なわれていることなんです。特にドイツとフランスは先進国で、水道水の水源の周りを保護地域にしたり、水源の上流には廃棄物の処分場はもちろんガソリンスタンドや工場さえ作らせないといった厳しい法的規制を設けています。ところが日本では水道水源の上流にゴルフ場や産業廃棄物の処分場の建設計画が持ち上がったとしても、現状の法律ではそれを規制することは難しい。ですから早いうちに具体的な方策を打ち出さないと、日本に飲める水がなくなってしまうのではないか、という不安を感じます。
早川 ダイオキシンをはじめとする〈環境ホルモン物質〉による土壌汚染問題が顕在化してきた今日、水源保護はまさに急務といえますからね。
安原 はい。ただヨーロッパと日本ではさまざまな点で事情が異なるということも忘れてはなりません。まず、日本は人口密度が高いことに加えて土地の値段が高いですから、ミネラルウォーターの製造会社や水道水を管理する自治体が、水源保護を目的に広大な土地を買い取るということは現実的に難しい。それに地層が断層によってズタズタになっているなど地質構造が複雑ですから、どの地域を保護すれば水源を保全できるのかという見極めが困難である。そしてもうひとつ、フランスの場合、水道水源の約7割は地下水ですが、日本の水道は反対に水源の7割が河川水やダムの水で、地下水は3割弱しかありません。ですからヨーロッパのシステムをそのまま日本に移植するというのは無理があります。それは今後十分に検討すべき課題だと思います。
早川 ヨーロッパで水道水源に地下水を多く使うのはなぜなのでしょう。やはり地下水の方が河川水よりも安全性が高いということからでしょうか。
安原 ヨーロッパにはかつてペストやコレラという疫病に苦しめられてきたという歴史があります。川の水がそうした疫病の感染源だったという記憶が、ヨーロッパ人の中に今も根強く残っているのでしょう。水源保護に対する意識の違いも、そうした歴史的背景によるところが大きいと思います。オランダなどでは川の水をわざわざ地下に浸透させて“人工地下水”を作り、下流で汲んで水源にする、ということをしていますが、これも大地に濾過された水は川の水よりも安全である、という考えが根底にあるからだと思います。

早川 日本に火山活動が多く、ヨーロッパには少ないということを聞きましたが、ヨーロッパと日本では地層の構造はどのように異なるのでしょうか。
安原 そうですね。ヨーロッパの地層には中生代、すなわち今から6500万年から1億4千万年くらい前に海底でできた石灰岩や苦灰岩が多いのが特徴です。それに対して日本は火山岩が多い地層になっています。
早川 その地層の違いが水に含まれるミネラルの違いになっているわけですね。
安原 基本的にはそうです。石灰岩はカルシウムを主体とした岩石、苦灰岩はマグネシウムを主体とした岩石ですから、これらで構成される地層を通った地下水には、カルシウムやマグネシウムが多く含まれることになります。反対に火山岩の地層を通った日本の地下水にはカルシウム、マグネシウムがあまり含まれない。ですからヨーロッパの水には硬水が、日本の水には軟水が多いということになるわけです。
早川 日本にはそうした石灰岩や苦灰岩の多い地層というのはないのでしょうか。
安原 一部にはあります。例えば山口県の秋吉台や岩手県の竜泉洞などは石灰岩の地層です。しかし面積的に見れば非常に狭い範囲にすぎません。それに日本はヨーロッパに比べると2倍近い降雨量があり地形が急ですから、水が早い速度で流れます。このため、地下水と地層が接触している時間がどうしても短くなってしまう。当然ながら地層に触れている時間が長ければ長いほど溶存成分は多くなりますから、そうした理由でも日本の地下水は硬水になりにくいといえます。
ただし、日本でこそ硬水はあまりなじみはありませんが、全世界の25パーセントの人は石灰岩地域の水に生活用水を頼っていますから、世界的に見れば硬水を飲んでいる人は非常に多いということになりますね。
早川 同じヨーロッパの硬水でも、炭酸カルシウムを多く含む水と硫酸カルシウムを多く含む水とがありますが、これも地層の違いによって生まれるものなのでしょうか。
安原 石灰岩というのは炭酸カルシウムからできたものですが、ヨーロッパには石灰岩とは別に硫酸カルシウムによる地層もあるんです。硫酸カルシウムというのはいわゆる石膏のことですが、この石膏や岩塩などは蒸発岩といって、要するに海水が蒸発して残ったものが岩石になった形です。日本ではあまり見られませんが、ヨーロッパにはこの蒸発岩が石灰岩や苦灰岩の下に広がっている地層があちこちに分布しています。この蒸発岩と地下水が接触することで硫酸カルシウムの多い水になりますし、また蒸発岩の硫酸イオンと苦灰岩のマグネシウムが結びついて硫酸マグネシウム型の地下水が生じる場合もあると考えられます。ヴィッテルの場合はよくわかりませんが、地層のどこかに石膏に富む蒸発岩が分布している可能性はあると思います。また、断層などを通じて、地下深部から上昇してくる水もなんらかの貢献をしているのかもしれません。
早川 硬度というのは水に含まれるカルシウムとマグネシウムの量を数値化したものですが、同じ硬度の水であっても、硫酸カルシウムや硫酸マグネシウムが溶けている水は、煮沸してもカルシウムやマグネシウムのイオン濃度が低下しない〈永久硬水〉であり、炭酸カルシウムが溶けている水は煮沸すると軟水になる〈一時硬水〉であるという話を聞いたことがあるのですが。
安原 硬度には〈一時硬度〉と〈永久硬度〉というものがあります。〈一時硬度〉というのは重炭酸カルシウムや重炭酸マグネシウムといった、水を煮沸すると析出、沈殿して除去される化合物の量を表します。そして〈永久硬度〉は硫酸カルシウム、硫酸マグネシウム、そして塩化カルシウムや塩化マグネシウムといった、水を煮沸しても析出、沈殿しない形で溶けている成分の量を表すものです。そしてその2つを合わせたものが〈総硬度〉になるわけです。一般の水質分析では硬度をこの〈総硬度〉で表す場合が多いのですが、おっしゃるように〈総硬度〉の数値は同じでも〈一時硬度〉と〈永久硬度〉のバランスによって、カルシウムやマグネシウムが析出、沈殿しにくい水としやすい水に分かれることになります。
早川 わかりやすく言えば、重炭酸カルシウムや重炭酸マグネシウムを多く含むミネラルウォーターは煮沸するとイオン濃度が低下する水であり、ヴィッテルのように硫酸カルシウムや硫酸マグネシウムを多く含むミネラルウォーターはカルシウムやマグネシウムが失われにくい水である、ということになるのでしょうか。
安原 はい。硫酸カルシウムや硫酸マグネシウムの含有量が多い水であれば、煮沸してもカルシウム、マグネシウムは析出、沈殿しにくいということになります。
早川 最後にもう一度水源保護の話に戻らせていただきますが、安原さんがヴィッテルの町の水源保護を見学されて、一番印象に残った点は何でしょうか。
安原 ヴィッテルの場合、ヴォージュ山脈に降った雨が地下水になり水源に達するまでには、石灰岩や苦灰岩などさまざまな地層を通っていかなくてはなりませんから、非常に時間がかかります。正確なところはわかりませんが、おそらく数十年から数百年という時間が必要であろうと思われます。ですから仮に水源保護をしなくても、実際に影響が出てくるのは何十年も先のことかもしれません。つまりヴィッテルでは目先のことではなく数十年単位の未来を考えて、水源保護に取り組んでいるわけです。この姿勢は日本も見習うべきだと思います。
先ほどお話したように、日本の場合、降った雨が短時間で地下水になりますから、環境汚染が比較的早い時期に水に顕れます。しかしそれは地層の浅いところにある地下水の場合であって、もし地層の深いところに汚染物質が入ってしまったら、何年先、何十年先に汚染の影響が顕れるか予測がつきません。場合によっては汚染源から数十キロも離れたところで湧き出す場合もあるでしょう。つまり、今起きている汚染が私たちの子供や孫の代になって、彼らを脅かすということも十分に考えられるわけです。ですから日本も一刻も早く、水源保護の法的整備をすべきだと考えますし、そのために私も調査、研究を続けていきたいと思っております。
早川 本日はありがとうございました。